2025年11月に名誉棄損容疑で逮捕・送検された立花孝志さん。
これまでも過激な言動で注目を集めていましたが、かつてはNHKでサラリーマンとして勤務をしていた経歴もあります。
ここでは、立花孝志さんの生い立ちや若い頃の歩みをまとめてご紹介します。

立花孝志のプロフィール

引用元:東京新聞
まずは立花孝志さんのプロフィールを見ていきます。
●名前 立花孝志 (たちばなたかし)
●生年月日 1967年7月29日生まれ ※2025年現在58歳
●出身地 大阪府泉佐野市
●身長 179cm
●学歴 大阪府立信太高等学校卒業
●前職 NHK職員、フリージャーナリスト、パチプロ
立花孝志さんは、NHKでの勤務や内部告発を経て政治家として活動を始めました。
次の項目で、そんな彼の若い頃のエピソードを見ていきます。
立花孝志の若い頃①孤独な幼少期と小学5年生で新聞配達
ひどりぼっちですごした幼少期

引用元:立花孝志Instagram
立花孝志さんは大阪府泉大津市で、父・母・姉との4人家族で育ちました。
父は普通のサラリーマンでしたが、5歳の頃に両親が不倫を理由に離婚。
立花孝志さん自身は「両親がほとんど家におらず、父も母も浮気相手と過ごしてばかりだった」と当時を振り返っています。
「両親がほとんど家にいない、寂しい家庭で育ちました。団地で一人ぼっち……。父親も母親も不倫していて、いつも浮気相手と一緒にいたんですよ。父親は普通のサラリーマンでしたが、たまに家にカネを置きに帰ってくるとスグに出て行ってしまいました」
引用元:FRIDAY DIGITAL
姉とのケンカと厳しい家庭環境

引用元:立花孝志Instagram
立花孝志さんには3歳年上の姉がいましたが、「暴力的でよく殴られていた」と語っており、家庭内では頻繁に喧嘩があったようです。
「3歳年上の姉がいます。ただ暴力的でね。よく殴られていました」
引用元:FRIDAY DIGITAL
父親もたまに家にお金を置きに帰る程度で、すぐに出て行ってしまったため、家庭には居場所を感じられない孤独な幼少期を過ごしていました。
中学2年のときに姉とケンカになり、姉を投げ飛ばしたことでいじめはぴたりと止まったようです。
成長期で体が大きくなった立花孝志さんに、力ではかなわないと感じたのだろうと、後に自身が語っています。
お姉さんとは現在は良好な関係を築いているようです。
生活のために小学校5年生から新聞配達のバイト

引用元:立花孝志Instagram
生活費が全く足りず、立花孝志さんは小学校5年生から新聞配達のアルバイトを始め、なんとか生活を支えていました。
ある日、教室で倒れてしまうほど栄養失調に陥ったこともありました。
小学5年生から新聞配達のバイトをして何とか生活していましたが、ある日小学校の教室でぶっ倒れたんです。
引用元:FRIDAY DIGITAL
この出来事を機に母親は家に戻るようになったものの、夫婦の会話はなく、寒々とした家庭環境は続いていたようです。
立花孝志の若い頃②高校で一人暮らし・バイト三昧&パチンコで400万円稼ぐ
部活もせずケンカばかりの中学時代

引用元:立花孝志Instagram
立花孝志さんの中学時代は、部活に入らず毎日ケンカばかりの日々でした。
家庭に居場所を感じられず、友人関係よりも生き抜くことが優先の毎日だったようです。
「何もしていません。毎日ケンカばかり。」
高校時代から過酷な一人暮らしと複数バイト
その後、当時偏差値30台の大阪府立信太高等学校に進学しますが、高校でも部活には参加せず、実家にいるのが耐えられず一人暮らしを始めました。
当時の一人暮らしはお風呂・トイレなしの過酷な環境で、学費や家賃を賄うために複数のバイトを掛け持ちしていたようです。
早朝3時に起きての新聞配達、ガソリンスタンド、祖父がやっていた淡路島と大阪を結ぶ観光船のキップ切りなど、いろいろやっていましたよ。
引用元:FRIDAY DIGITAL
パチンコで3ヶ月400万円稼いだ高校時代

引用元:立花孝志Instagram
バイトを掛け持ちしても生活できず、空いた時間にパチンコをして収入を得ていたようで、3ヵ月で約400万円稼いだこともあったそうです。
それでも生活できなくてね。空いた時間にやっていたのはパチンコです。3ヵ月で400万円ほど稼いだこともあります。
引用元:FRIDAY DIGITAL
当時柄入りのシャツにサングラスをかけて、チンピラのような格好で街を歩いていたようですが、学校の不良グループとは一線を画していたと自身で語っています。
地頭の良さで成績は学年トップ
立花孝志さんは地頭が良く、勉強は試験前しかやらなかったものの、成績は常に学年トップだったようです。
幼い頃からの苦労があったからか、周囲の同年代が幼稚に見えたと自身が語っています。
幼い頃から苦労してきたからか、同年代が幼稚に見えたんです。自分で言うのもナンですが、地頭は良かったと思います。勉強は試験前しかやりませんでしたが、成績は常に学年トップでしたから
引用元:FRIDAY DIGITAL
立花孝志の若い頃③NHK入局から内部告発までの20年
NHKに入ったきっかけ

引用元:立花孝志Instagram
立花孝志さんは学校の先生に勧められ、1986年、和歌山放送局に採用枠があったことからNHKに入局しました。
子どものころから受信料に疑問を持っていたこともあり、「なぜNHKだけ受信料を払わないといけないのか」と感じていたと語っています。
子どものころからNHKの受信料に疑問を持っていたのは事実です。『なんで他のテレビ番組は無料で見られるのに、NHKだけ受信料を払わないとアカンのやろ』と。
引用元:FRIDAY DIGITAL
内部告発

引用元:立花孝志Instagram
入局後は和歌山放送局、大阪放送局、NHK本部報道局スポーツ報道センター、NHK本部編成局で勤務し、20年間、いわゆる“サラリーマン人生”を歩みました。
その間、受信料で行われていた不正や不適切な行動に衝撃を受け、内部告発を行います。
しかし、その行動により、懲戒処分を受け、2005年にNHKを退職。
退職後もNHKの体質改善を訴え続け、政治家やメディア関係者に働きかけたものの、改革は進まず。
「既成政党に改革を期待したが動かない。だったら自分でやろう」と考え、2013年に「NHKから国民を守る党(N国)」を立ち上げ、政治家としての活動を開始しました。
波乱に満ちた人生とこれからの行方

引用元:選挙ドットコム
幼少期の貧しさや家庭環境の厳しさを乗り越え、NHKへの入局、そして内部告発から政治の世界へと進んだ立花孝志さん。
まさに波乱万丈な人生を歩んできたといえます。
一方で現在は、政治活動のほかにもYouTubeでの発信や世間を騒がせる出来事も多く、賛否両論の声が絶えません。
強い信念と行動力を持つ人物として、今後どんな動きを見せるのか注目が集まります。

